追考・光市母子殺害事件---死刑をどう考えるか

前回こんな記事を書きましたが・・・ →光市 母子殺害事件について

「殺されるのと、死ぬのとは違う。」
これは加害者を批判しての言葉ですが、そう、死刑も人を殺すことも考えられる。

ふと思い出したことがあるんですよね。
小学校、、、か、中学かなあ。授業で「死刑は是か?否か?」と話し合う授業があった
もちろん答えのない授業。


今また、同じように問われるなら、「条件付の肯定派」です。

死刑のような罪を生み出さない社会を全力で、全員で作ること。
それを前提に、必要な刑であると思います。



「復讐」が認められていない日本はすごく理性的といえる。
ただ、その法律・社会的ルール(モラル)で裁ききれない人間がいたら。
また、「モンスター」がいたらどうしますか?
生き物として「死」をもって裁くことは、動物として必要ではないですか?

昔、大久保清(30人の強姦、強姦未遂と8人の殺害)とう事件があった。ビートたけしがTVで演じていたこともある。
そのときに、大久保清の性染色体は異常があると聞いた。
通常「xy」が「xyy」(「xyyy」だっけ?)で「超男」だった。
もちろん、彼が凶行に及んだ原因は、染色体の問題だけでなく、
生まれ育った環境や、性格、そういった体質など、複合的な要因によるものだろう。

 彼がジャングルで生活をしていたら、何の問題もなかったのかもしれない。
 僧侶として育っていたら、何の問題もなかったかも知れない。
 体質もあるから仕方ないのかもしれない。
 法律も結局人間が作るものだし・・・。

しかし、「社会」ってそんな曖昧さで成り立っているものではない。
「NO」なものは「NO」なのだ。

もし死刑が認められなかったら、
命を奪わないことは、一見、美しいことかもしれないけれど、
きちんとした更正が行われないなら、
結局加害者の人権侵害にしかならないと思う。
(薬を投与したり、拘束することなど)


人を裁くのは法律だけの基準ではない。
社会を構成する人間が、しっかり考えをもって、真剣に互いを尊重することが大切だ。

環境ホルモンや、有害物質の蔓延する世の中、
何か先天的に異常をもつ人間も増えていくことだろう。

小さいころから、ダメなものはダメ。と教育する、
人が見ていなくても、お天道様が自分のやっていることを見ている。
そういう意識をしっかり持たせることだ。

メディアでも、事実を伝えるだけでなく、
「やってはいけない事、起きてはならない事だ」という態度を、はっきり伝えるべきだ。

街で目を合わせて会釈をする機会が殆どなくなった。
小さい頃は、初対面でもすれ違うときに挨拶をするのが当たり前だった。
見慣れない人間、おかしい人間は、誰もがその行動「見ていた」。
それによって、社会の死角はなかったのだと思う。

今は、街中なのに、目撃者がいないことが増えていると思う。

凶悪事件は社会が防ぐものだと思う。
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by easy-easy | 2007-10-03 11:25 | ●トピック

忘れたくない日常を残そう、楽しくブログライフを過ごしていたら’05.1に乳ガンを宣告。温存できましたが3~5年前なら全摘のケース。1ヶ月入院、放射線後、ホルモン治療。下記カテゴリをクリック!!無断転載不可です


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